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ジョセフィン ベイカーはジャズ歌手であり女優であり、キレッキレのダンサーだった!

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Googleのロゴが『ジョセフィン ベイカー生誕111周年』になっていました。ジョセフィン ベイカーとは、いったい何をした人なのか?知らなかったので簡単ですが調べてみました。

ジョセフィン ベイカーって?

ジョセフィン ベイカー(Josephine Baker)は1906年6月3日生まれのアメリカ出身のジャズ歌手で女優。1920年代にジャズ・エイジ・アイコンとなり、国際的に認められたアフリカ系アメリカ人エンターテイナーの一人でした。

Googleのロゴが紙芝居になっていて、彼女の生涯を描いています。この紙芝居のストーリーに沿って簡単にまとめてみました。

貧しく暗かった子供時代

幼いころの彼女はセントルイスで育ちましたが、家は非常に貧しく、また11歳の時には人種差別を経験しています。

13歳の時には母親により、かなり年配の年上の黒人男性と結婚させられすぐに離婚をしています。

その後すぐに家出をし、15歳で結婚しますが19歳の時には再び離婚。この結婚でベイカー姓となり、その後もベイカー姓を使い続けました。

アメリカからフランスへ渡りダンスの世界で有名に!

彼女は16歳でニューヨークへ向かいました。そこで彼女はシャルル・アロン(Shuffle Along)という最初の全黒のブロードウェイ・ミュージカルのコーラス・ラインに参加しました。

そこから、彼女はパリに出発し、女性の解放とアフリカの文化のアイデンティティーを称賛する独特のダンス・ルーチンを歌い、演奏しながら、街の陽気なキャバレーにて名声を得ることとなりました。

ロゴの紙芝居にも描かれている、バナナを腰の周りにぶら下げただけの衣装で踊ったのもこの時期です。

ジャズシンガーそして女優として活躍

20歳のころに、ジョセフィン ベイカーはヨーロッパの貴族の称号を持つことになった初めてのアフリカ系のアメリカ人女性となります

また彼女は歌手としてもデビューを果たし、「かわいいベイビー」(Pretty Little Baby)を初めとした歌を歌い、また映画の出演を果たしています。

www.youtube.com

こちらは1927年の映画「LA REVUE DES REVUES」の動画ですが、キレッキレのダンスを踊っているのがそう、「ジョセフィン ベイカー」です。

その後、祖国アメリカで再び人種差別を受け、嫌気が差した彼女は31歳でフランスの国籍を取得しています。

そして晩年は人種差別撤廃運動に

1963年、ワシントンで行われたワシントン大行進にて、彼女は唯一の女性演説家として参加し "salt and pepper. Just what it should be." (塩と胡椒。本来あるべき状態なのだから、それでいいのだ)と発言しました。

キング牧師によるワシントン大行進ではかの有名な"I Have A Dream"という歴史的大演説が行われたことで知られていますね。あのボブ・ディランも演説を行っています。

1975年4月8日、パリで彼女の芸能生活50周年を祝うショーの初日の公演が行われた直後に脳溢血に襲われ、4月12日にこの世を去りました。

さいごに

後半はかなり端折っていますが、この他にもピカソやヘミングウェイなどの芸術家や、ケリーバッグでお馴染みのグレース・ケリーとも親交があったようです。

20歳までの人生を見ても普通の人の何倍も濃い人生。凡人には想像がつきませんがその苦労があったからこそ、輝かしい活躍を送れたんだと思いました。

最後にヘミングウェイが彼女に残した言葉を紹介します。

"the most sensational woman anybody ever saw—or ever will."